花の仕事を通じて何かを成し遂げたあと、いつも感じることは
「続けていてよかった」。
子供の頃からいろんな習い事をして、これだけはなぜか細く長く続いた「花」。
教室に通うのが当たり前のことになっていって、
日常に溶け込んで、今では、仕事になっている。
そして私自身にさえなっている。「ふしぎだなあ・・」と思う。
中学に入ってまもなく、誰も友達がいなかった頃、
出席番号の前の女の子が「一緒に華道部にはいらない?」と言われ、
まあいいか、と何の興味もないのに入ったのがきっかけ。
その彼女は今はもう亡き人になっている。
今生きていたら、きっと探してお礼を言うと思う。
「私をあのとき誘ってくれてありがとう」
教室は休まず通った。
病気のときも点滴して行った。
遊びに誘われても、その日はひとり黙々と花をいけ続けていた。
未だそうである。
どうしてかというと、先生がいつも私を待っていてくれるから。
結婚してまもなく25歳で教室を開き、初めて先生になった。
生徒さんに教えていただくことのほうがずっと多かった。
(未だにそうなので、「先生らしくない先生」とよくみんなに言われます。)
子供が小さい頃は子育てをしよう!ときめて、教室は一度閉鎖。
勉強だけはなんとなくしていたけれど、2人の子供と夢中ですごした。
そして、下の子が幼稚園に入った頃、
お友達でお花が好きなお母さんと3人で、「お花でもしようか~」と自宅で初めて、
それがなぜか今では8つの教室になっている。
実家が看板屋さんなので、色、素材、レタリングやデザインの本、
そんな中に囲まれて暮らしていた。
よく工場へ行って、父の真似をして書いたり作ったりもした。
いろんな看板の色合いや、デザイン、展示会の様子など、今でもうっすらと覚えている。
これらが今の私の作風ベースになっていることは多分間違いない。
マニアック(よく言えば個性的!)な作品が多い。
フシギなものですが、今ではこの環境で育ったことを感謝している。
振り返って思うと、私は何かを作るのが好きで、絵を描くことが好きで、美しいものが好きだった。
それがたまたま「花」という世界に合致したのだと思う。
そして人とのかかわり中でどんどんどんどん膨らんで、
大きく輪のように広がっていっただけなのだ。
きっかけなんてほんの些細なこと。
誰でもが可能性を秘めている。
その自分の中の素敵なキラキラした可能性は、夢になってそして実現していく。
私は教室の生徒さんにいつも言う。
「夢はかなえましょう♪そうなるから、大丈夫!」
その瞬間みんな目が輝きだすのを見て、私は寄り添って、出来る限りの応援をしているだけ。
あとは自然とそれぞれが自分の力でそうなっていく。
その姿を見て私も、「がんばらなくっちゃ!」と思う。
だから昔も今もこれからもずっと、人との出会いや、あたたかい心のふれあいのなかで、様々な経験をしながら、何歳になっても育っていくんだなあ・・と感じている。
と同時に、「まだまだだなあ~」と痛感。果てしないのだ。
自分の好きなことをライフワークにしたいという人はたくさんいると思う。
天職と適職は違うという説もあるが、ごちゃ混ぜでなんでもありでいいと思う。
私が実際そうである。
目の前のしたいこと、興味のあること、好きなことを淡々と黙々としていたらこうなった。
先のことはさておき、やってくるすべての事を「一日30時間あればいいのに」と思いながらし続けていただけ。
そしてふと立ち止まると、何年も経っていた・・。
きっとあなたが、今感じて思っていることも、人との関わりや出会いのなかで変化し続けていく。自分が信じることを、自分なりのペースで、ひとつひとつ大切に、淡々と積み重ねていくことが、明日へと繋がっていって、そしてその先に、素敵な未来が広がります。
「夢と可能性」はすべてのひとがもっている、果てしない素敵なものだから。