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「Love Is Flower」 花は愛 

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光と音の七夕祭

http://www.hikariart.net/tanabatasai2008_kasumi.html
このイベントに参加します。

素敵なアーティストやミュージシャン、
講演も手作りショップなどなど
楽しいイベントです。
若い仲間たちががんばってます!
是非お近くの方はみにきてね!


私は作品出品と
ワークショップ、
そして、民族音楽とコラボレーションをして
踊って花いけます。
ワクワクドキドキですが、
何歳になっても
未知の世界へ挑戦して
ワクワク☆ドキドキ
花と恋愛していたいです。
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by harufds | 2008-06-30 22:37 | 作品たち

紅茶とお花のおいしくて楽しい時間

ニュアージュでハーブのアレンジメントフラワーをつくりませんか?
7月15日(火曜日)10時より

ミント、ラムズイヤー、オレガノ、ラベンダーなどを使って
テーブルやキッチンに飾れるかわいいアレンジを予定しています。
使うハーブはオーガニックなので、飾って楽しんだあとは料理にも使えますよ

作った後はおいしい紅茶を飲みながらみんなで作品を自慢しましょう
参加費用はアレンジメント材料と紅茶全部入って1500円です。

みんなでたのしくおいしく ハーブアレンジしましょう

【紅茶のお店 ニュアージュ】
所在地:札幌市清田区平岡2条5丁目3-5ミドリMS1階
電話:011-886-6161
営業:10:00~19:00 08年4月から日曜定休
サイト:http://www.nuagetea.com/

みんなできてね!
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by harufds | 2008-06-26 16:58

最近の花仕事


6月22日
越智啓子氏講演会
舞台装飾
AMC(株)様


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6月12日
いのちの花育
白石幼稚園
年長77名

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by harufds | 2008-06-23 01:03

新札幌デュオカルチャースクール

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アンチエイジングで若返るアレンジ☆
を皆さんと作りましたo(^-^)o
薔薇の効果やフラワーカラーで癒され、
うきうきした気分に!
いつまでも
元気で若々しいって
いいですよね。

みんなのニコニコを見てる私が1番楽しかったかも♪
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by harufds | 2008-06-17 14:53

「純愛」という映画

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今日からマリオンで上映される。
懐かしいような、感動の映画です。
中国でも大ヒット上映される。
素晴らしい内容の映画。

昨日、脚本、制作、主演の桂子さんに初めてお会いした。
とてもキラキラと輝いてパワーのある、素敵な方でした。

揺れるブーケを制作したので、舞台挨拶のとき使って頂くことになった。

花もきっと喜ぶだろうな‥。
キラキラ光る
オーナメントと羽が付いている。

感謝。
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by harufds | 2008-06-14 17:32

8月からの花育研修

お申し込みありがとうございます!

まだあまり告知していないにも関わらず、
ご興味のあるかたがいらっしゃること、
ほんとうにうれしく思います。

この研修は
ほんとうに自分でも
いいものができた!と思い、
みなさんも私もとても喜べて
周りの方も喜べて、
ほんのちょっとのしあわせやウキウキや笑顔の輪が
花で広がっていくと思うんです(*^_^*)

うれしいです!
ありがとうございます。

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by harufds | 2008-06-11 00:36

いつも仕事で思うこと

人間は不完全。
欠点も長所も紙一重。
好みだってあったり、心の中だってぐちゃぐちゃだ。
けして神様じゃあない。
私の周りにいる縁のある人達と一緒にいるからこそ
自分なりの中心軸がしっかりしたり、バランスがとれ、
うまい具合にこの世の中で生きて適合していけるのだろう。


出会いによって人は変化していく。
それはよくいう言葉であるが、
次々と出会いを追い求めて彷徨うのではなく、
環境、思考、年齢、行動、嗜好などの様々な変化が
出会いを呼んでいるように思えて仕方が無い。
「無」が出会いという「有」を生み出し、
そこには計り知れない「縁」が存在するのではないだろうか。求めて得られるものももちろんあるだろう。
しかしながらそうではない「偶然」からのなにげない出会いこそが、
人生に於いて面白い「縁」となり得ると感じている。
わからないからこそ面白いし、情感も動き、心も豊かになる。
それは筋肉を動かし表情に表れる。

人間は感受性や情、心の琴線にふれることが無くなり、
全てが割り切れると思い込んだとき、心を失うように思える。
思い込みの中に自分を置き、
その中に閉じこもり、身を守ることだけで精一杯となるのだろう。
なんでもいいのだ。
どんな物でもどんな人でもなんでもいい。
傷が深くても、心が重くても、体が動かなくても、
人間は人間とともに生きていく事が
心の解放へとつながる最短距離である。
恐れずに一歩外へ出て、一言でもいいから発することからはじまっていく。
何もしなければそこからは何も始まらない。

ある方が言っていた言葉がある。
数学を追求していくと、答えが出て割り切れるのは少なく、
他は割り切れず、答えも明確に出ないものだそうだ。
私は割り切れて答えが出るものを数学と思い込んでいた。
しかしながら本質は割り切れないのだ。
円周率は3,14であると割り切ることは、
エンドレスになるから厄介で返って難しくなってしまう。
だから割り切る。
そのほうが簡単だし、面倒がないし、すっきりする(笑)。
すっきりするのは快だ。厄介は不快である。
とすると、割り切るとは人間が快くなるために決めた決め事にすぎない。
元来本質的にはそうではないことのほうが断然多い。
だから無理に割り切る必要も何も無く、
ぐちゃぐちゃである人間という本質を理解すれば、
自然とお互いを認め合うことも可能なのではないだろうか。


教室で生徒さんの「どうやっていけたらいいんですか」という問いに言う。
「なんでもいいよ。自分の好きなよ~うにいけてね。
花はそれだけですでに美しいから大丈夫。」
最初は戸惑うが、黙って見守っていると、
時間とともに黙々と花と向き合い、手が勝手に動きだす。
こうしなければいけない、
ここはこうでなくてはならないということは元来なにもない。
花はそれだけで十分に美しい。
そして人間がそれぞれの内にある心で花を活けたとき、
作ったとき、花にさらにその人の心が映し出され、
輝きを増し、生かし生かされる相互関係となる。
その時、無表情だった人の頬がピンク色に染まり、
なんとも言えない表情になるのをいつも私は目の当たりにしている。
「解放」である。

がんじがらめになって固まっている自分の体や心が、
花に触ったり、香りを嗅いだり、姿を見たりして接しているうちに、
本来の五感が動き出し、時間とともに心地よく解放され、
それと同時に自分は本当はどうしたかったのかに気づきはじめる。
そしてやっと手が動いていく。
動き出すと止まらない。
皆夢中になって集中する。
出来上がりは早い場合もあるし、
長い時間をかけていける人もいる。
当たり前だが、千差万別。
それすらなんでもいい。


出来上がると皆に生気が蘇る。
笑顔の人、眉間に皺を寄せている人、すっきりした顔の人、
いろいろだ。
でも、共通しているのは「解放感」。
まるでスポーツをした後のような爽やかさと心地よさ。
花による、優しい癒しの効果で、ゆったりとリラックスする。
こんな人を花を通じてどのくらい見てきただろう・・。
「なんでもいい」なんて言って、お金をもらっている先生は多分、いない(笑)。
指導にもなんにもなっていないかもしれないが、
私は他の先生が何をどうしようと、
それすらなんでもよくて、これが私の個性であり、
まず花を体験する初めの頃はこれでいいと信じて疑う余地もない。


「作品の中で自分を表現しきる」ということは並大抵のことではない。
まず、既成概念や、こうあらねばならない、
こういう形に作らなくてはならない、
人の言ったとおりにしなければいけない、
自分ではできない、教えてもらう 
というような潜在意識の中の囚われた思考を取り除き、
解放しながら、自分自身で作り出したものを自分で認め、
回りと違うということに気づき、
それが善し悪しではけしてなく、個性以外の何者でもない、
という発見を見出すことなく、
自分らしい作品を作り、
人を感動に導くことは出来ない。


よくはじめていらした方は
「センスがないんです。」とおっしゃる方が多い。
そういう方にこうご説明しています。
「絵画でお話すると、ゴッホが好きな人とモネが好きな人がいるとしますよね。
ゴッホが好きな人がモネの絵を見て、
あんまり好みじゃないと言いました。
モネの絵が好きな人がゴッホの絵を見て、
なんだか好きじゃないと言いました。
そして互いに変だと言いました。
あなたはどう思いますか。」

みなさんひとしきり考えます。
「そう、どちらも素敵で素晴らしいんです。
ただの個性や好み。
だからセンスがないというのは、
自分で決めていることで、
ただ、その方の持っている感性だけなんですよ。
だからなんでもいいんです。
最初は自己満足でいいんです。
自分で作った花が、美しいなあ~と思えたら、
それでいいんですよ。」
というと、みなさんあっけにとられたような顔で私を見ます。

でも本当にそうなんです。
その後は楽しいの連発。
作るたびに、どんどん自分に自信が満ち溢れ、
他のいろいろなことにも勇気ややる気が出てくるようです。

しかし、こればかりではありません。プロを目指す場合です。
プロはほぼ万人が心地よくなるような作品と個性のある作品、
両方を使い分けることが出来て当たり前です。

そのときには、この初期段階を経た上での、
形に囚われたレッスンをあえてします。
「基礎」と呼ばれるものです。
角度、長さ、など、定規や分度器で計り、緻密な作業です。
形というものが何かを正確に理解していないと、
自分の個性とは何かが、明確にわからないからです。
それは「対比」でもあります。
比べるものがないとなかなか自分自身はわかりません。
例えて言うなら、
逆上がりができるようになるまでにまず、
頭脳で「足を蹴り上げて、腕を引いて、
三歩目から飛んでおなかを引き付ける」
と覚えたら、一度で出来る人も中にはいても、
やはり出来るまで、体が覚えるまで繰り返し練習しますよね。
それと同じです。

頭で覚えたことを今度は正確に出来るよう、
何度も何度も繰り返し手で覚えていきます。
ここで頭と手が同時に感覚で動くようになる訓練と感覚を養います。

よく、「黄金比率」と呼ばれているものがありますが、
一般的に人間が美しいと感じる比率のことです。
これは形や長さ。
花での「基礎」はこの美しいと人間が感じる形や長さを会得するためのものです。
これを頭と手で会得することにより、
ほぼ皆さんに対して心地よい作品が出来るようになります。


今、一般的にはこの「基礎」から入る方が大多数だと思います。
でも必ずこの先には壁が立ちふさがるのです。
自分を出してみたい、と技術が向上すればするほど感じてくるでしょう。
でも、このときに自分自身が形に囚われ続けたままでいると、
こうしなければ評価されない、
または、綺麗とはこういうものである
といった思考に陥り、なかなか応用がきかなくなり、
素材を見て発想することや、ひらめくこと、
、感受性や、直観力が発揮されづらい状態になってしまいがちなのです。

そうなると、似た形で似た素材でしか作品を作れない、
すなわち個性ではなく、大量生産的な制作は得意であっても、
人がはっと、感動し、驚いて目を奪うような、
面白みのある作品が生み出されなくなってしまいます。
せっかくの素晴らしい個性が失われることになってしまうのです。
それは思い込みが原因です。

ある種ストレスでもあります。
今教室に過去に勉強をした方もお見えになりますが、
この状態で悩みを抱え、相談を受けることがしばしばです。
このときは初めてではないので、
先入観や長い間の蓄積がありますので、
多少時間はかかりますが、教室で他の方と一緒に花に向かう中で、
少しずつ薄皮が剥がれていくように解放され、
心が軽くなるようです。

自分だけでは気づかないことも、
みんなと花を制作するうちに何も言わなくても
問題が解決することもあります。
花と人から受けた何らかの心の固まりは
やはり同じく花と人で癒されていくのです。

技術だけではなく、形だけでもない。
花への心も、自分の喜びも、作品を見てくれた方への感謝やそのときの感動。
自由な発想、素材から伝わるひらめきやわくわく感。
そんなたくさんのことが作品に込められ、
イメージが自分の手によりそのまま思うとおりに仕上がったとき
初めて、「基礎」のあとの「応用」となるのです。

それはそれは楽しい世界です。
自分だけのイメージ、空想、発想、自由自在です。
その中ではどんなことでもできます。
夢も描けるし、現実も描ける。
フィクションもノンフィクションも全てがOK.
こんな楽しいことはありません。


花も制作する前にデッサンをしますが、
まず、平面、そして立体化します。
でも慣れてくると手がイメージどおりに勝手に動き出します。
素材を見ただけで、どんどんどんどんイメージが膨らんできます。
何を見ても感じてもイメージが懇々と沸き出でてきます。
それを自分の感じたようになんの囚われも無く、感じたまま表現できる。なんでもできる。
それが花の世界です。


花は生き物なので、
その人の感じたものや想いをストレートにそのまま受け取ってくれます。
とても素直にイメージ作りを
黙ってそっとお手伝いしてくれるのです。
そしてそれが形になったとき、
花も自分も生かされていることを感じ、
より一層充実感が満ちあふれ、
愛しい気持ちにもなり、誰かと分かち合いたい。
そんな気持ちも生まれてきます。

これは何かを制作する場合も、
人間関係でも、
お金も物も同じようなことがいえるのではないでしょうか。
とても素晴らしい世界です。

ここまでに至った時、自分の個性というものがいかに大切であるか、
重要であったかを知ることとなります。
誰にも作れない作品。
世界でたった一つの作品。
ユニーク、かつその人柄が見えてきたり、
人生までもが隠されているような物語のある作品。
まるで情景が目の前に浮かんでくるような作品。
五感を通してひとりでもいい、
誰かの胸の奥に残る作品がもし出来るようになったら、
心よりもっとお腹の奥底のほうから湧き出るような
深い深い喜びが体中にほとばしります。
計り知れないほどの感動です。


是非、ひとりでも多くの方に
その体験をしていただきたいとそう願いながら、
指導にあたっています。

そしてそういう制作や、
指導のお仕事をさせていただけることにお腹の底から感謝です。
けして一人では出来ません。
仕事もまた、人の中でしか体験出来ないものなのです。
それは、偶然が偶然を呼び、
必然でもあり、
自分の意思とは関係なく
どこからか何の気なしにふとやってくる、
運命とも呼ぶにふさわしい、「縁」なのです。
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by harufds | 2008-06-04 06:11